年末からお正月は身も心も貧困な生活苦もあって、世間の賑やかさを遠ざけたく4日で6勤務の特別シフトでパートに入っていました。
体力的に何とか持ちこたえることができ、ようやく今日、通しの夜勤明けで新年の実感をかみ締めています。
お読みくださる皆さま、新年おめでとうございます。
涙も枯れる年初めとなりました。
ひとつ目は言うまでもなくパートがきつかった事です。
持病もあり体力には自信がなかったのですが、夫が逮捕されたことで私のやり場のない空しさを埋めたくて働くしかなく頑張りました。
パート勤務中もお正月で学生アルバイトが多く、また学生さんは業務の全部を把握しているわけでもないので、大忙しで「私、何でこんな働いているんだかな」と、人知れず涙ぐみました。
最後に(今日)自宅に戻ってきた時は足がガクガクで、ポストに投函されていた夫からの年賀状(手紙)を手にして、疲れから玄関でしばらく座り込んで手紙を握り締め、我慢していた涙を我慢せず思い切り泣きました。
年初めの2つ目の涙。
その夫からの手紙(発信日12月28日)を読んで、内容はものすごい反省の気持ちが書かれていました。
「私に反省しないで、その反省の気持ちを検察に訴えるなりすればいいのにな」(そうすれば早く出てこれると聞いています)と思い、夫の収入がない現在、おかげでこっちの苦労も知らずにと、パートの疲れに加えて虚脱感のようなものを感じました。
それでも一方で、夫から手紙が来ることを嬉しいと思っている複雑な私もいて、手紙の心情的な部分に泣かされ涙がこぼれました。
テーブルの上に叔母からのお年玉。
私のパートシフトが変則なので、留守中に来てくれたようで、テーブルの上にお年玉が置いてありました。
本当なら夫が逮捕されてから一ヶ月、精神的に不安定だった私に寄り添って泊まりに来てくれ、よき相談相手にもなってくれて食事の支度までしてくれ大変助かったので、私のほうこそお礼をしなくてはとお年玉を用意していたのですが。
そのお年玉袋の中にメモ書きもあって「美味しいもの食べて元気だして」とあり、冷蔵庫には私の大好きな中華街の肉まんが入っていました。
私は疲れた体で夫からの手紙を持って、叔母からのお年玉と冷蔵庫から箱に入った肉まんを仏壇に供えました
3つ目の涙は、もう枯れて放心状態でした。
仏壇のお線香をつけて、ハードなパートシフトが守られたこと、夫からの手紙と叔母からのお年玉を遺影に報告しました。
しばらく放心状態で座り込んで、それから今後夫の事件のことでまとまったお金が必要ですので「もしかするとこの家を失くすかもしれない」
そう思うと、申し訳ない思いと情けなさから座布団にうずくまってしまいました。
もう涙も枯れて・・・
私にとっては今日が新年の始まりのようなもので辛い年初めですが、気持ちを整理して落ち着かせて、もう一勤務(今日の夜勤)を頑張ろうと思います。