逮捕勾留されている夫からの手紙には、事件への反省とこれからの事と、よく食べたいものが書かれております。
つい先日までは、「24時間反省していなさい」とは思いませんが、反省の態度に欠けると思っていた私です。
そのことを、夫の事件の共犯(元上司)の奥さまに話しますと、当たり前のように受け止めていました。
不自由になればなるほど、食への願望が高まるものですよと。
夫が勾留されている警察留置所では、食事は三食支給されるもの、当たり前ですが甘味なおやつのような類は一切支給されないそうです。
夫は特段、甘党ではありませんが、手紙に書かれている食べたいものはチョコレートやクッキー、たい焼きまで書かれていることもありました。
甘味という自由。
奥さまいわく、「食への願望が高まる」が甘いものになっているのだと思います。
私も貧困な生活の中で、時々チョコレート等の甘さを欲しがる時がありますので、そんな時はお買い得3点もの等に合わせてチョコレート菓子などを買います。
拘置所へ行きたがる夫。
夫の取調べは終わっていて、現在は合同公判(裁判)を予定している主犯の余罪の裏づけ中とのことです。
そのため夫は、その裁判が始まるまで何もしないまま留置所で、甘いものに飢えながら過ごすこととなります。
ところがこの先、留置所から拘置所(その先は刑務所)に移ると、チョコレート等の甘味ものが差し入れすることができ、食べることができるようになるのです。
ですので、どうせ何もせず(何もできず)に一日を留置所で過ごすなら、拘置所に移されて「甘味という自由」を手にしたいと考えているようで、弁護士に頼んだほどです。
以前の私でしたら・・・
何という不謹慎なと思ったに違いありません。
もちろん夫婦(人情)として、なるべくできることはしてあげたいという気持ちはありますが、その差し入れをするのも私が生活を切り詰めたお金からですので、「何考えてるのさ」と、憤ったと思います。
ですが、夫の事件の共犯(元上司)の奥さまの言うこと全てに、逮捕された身内として教わることばかりですので、夫のその気持ちも少しですが理解できるようになりました。
とはいえ、全てにおいて寛容になりきれない私ですが・・・
確かにどんなに貧困生活をしていても、チョコレートぐらい食べたいと思えば自由に手に入れて食べれます。
日ごろ気づかないでいた甘味なものは、自由でもあると思った次第です。