月末がパートのお給料日の私にとり、いつもですと極限まで食費を切り詰めて過ごす、お給料日までの数日なのですが。
特に、夫が逮捕されてからは諸費用もかなりかかり、勤務先を解雇されてからというものは尚更のこと私のお給料だけでは厳しい状況の中。
今月は叔母からお金を借りたこともあり、若干の余裕があるせいか、逆に・・・
貧乏主婦の安い虚しさを感じました。
本当にそう思いました。
日頃から月末は大金欠でしたので、いま手元にある2万円が他人からの借金で、いずれ返済しなくてはならないにも関わらず、呑気に気を緩めています。
たった2万円のお金の余裕で、気持ちの面でこうも楽になるものかと、呑気に構えてなんていられない状況なだけに余裕なんていらないと感じた貧乏主婦です。
叔母からお借りしたお金で滞納金を精算できました。
冬の暖房費を春になっても払い、春には春の水道光熱費を夏に、夏の冷房日を秋にと、このまま滞納し続けるのかと覚悟もしていたのですが、ようやく追いつくことができました。
その上で、今のところ浮いている2万円ですので、夫が逮捕されてからの金銭的な生活苦からタバコを絶っていたのですが、昨日買ってしまいました。
虚しさを埋める400円の煙です。
私にとってタバコはストレス発散等そういうものなのですが、タバコ代を年間で計算し生涯のタバコ代金に計算し直しますと途方に暮れる金額になりますので(1日1箱吸う人は生涯1000万円)
これを機に止めてしまえと思ったのですが・・・
借りたお金とはいえ余裕ができますと、心や精神的な面に癒しを求めるものだと思いました。
叶うものと叶わないものの区別は分かっていますが。
長い貧乏(貧困)生活の中で、頑張れば何とかなる現実と、頑張っても届かないことの区別はついており、無理な高望みもしないのですが、こういった心の虚しさを解消しようとする行動には、いまだその区別が分からないでいます。
思えばずっと虚しさは感じていましたので、そんなことを考えること自体が気持ちに余裕がある時なのだと、逆にたった2万円でそう思える貧乏主婦の虚しさは安いものだと思いました。