貧困女子時代から11年、私に寄り添って来てくれた愛猫は、今年の4月に急性の胸部の悪性リンパ腫に犯されました。
ガン発覚当時は余命3日とまで宣告された状態でしたが、獣医師さんの適切な判断と懸命な治療の末、引っ越した今でも元気な姿を見せてくれています。
その存在は家族同様、子供の居ない私達夫婦にとっては娘の様な存在です。
一方で現実問題、かかる治療費を考えますと・・・
お金のない情けなさ、侘しさ切なさもあります。
私は経済的困窮な事情で、貧困女子ながら育ててくれた祖母や、後に養女として私を守ってくれた養父(昨年他界)に、私は何をしてあげれただろうという後悔に似た想いがあります。
お金があれば何ができたのかな?というより、余りにもお金がなくて人を思いやる余裕さえ持てなかった自分に自責の念を抱いています。
もちろん人とペットを比べることはできませんが・・・
娘のような愛猫の現在は・・・
とりあえず現在はリンパ腫は小康状態となり、抗ガン剤の投与も中断し、ステロイド剤のみ服用させています。
高価な抗ガン剤の治療費はかからなくて済む様になったものの、1ヶ月に1回のレントゲン撮影と1週間分1000円のステロイド剤の出費は続いています。
愛猫の命をお金と天秤にかけるのもどうかとも思いますが、やはり治療費の出費は貧困女子から借金返済を抱える貧困主婦になり辛いものがあります。
でも治療を止めれば愛猫の命の灯火は消えてしまいます。
生活も苦しいところですが、やりきりたいのです。
猫の11歳と言えば人間に換算すると60代です。
飼い猫としては、まだまだ平均的には生きる余地はあります。
出来るだけ苦しい思いをさせずに少しでも長生きして欲しい、それが飼い主としての私達夫婦の共通の切なる願いです。
ですのでこんな時ほど、貧困家庭である事に情けなさを覚えます。
お金のない情けなさ、侘しさ切なさです。
治療費を惜しみなくとは言えませんが、せめて家計を気にせず、何より愛猫の命とお金を天秤にかけてしまう深層心理に情けなさを覚えます。
貧困生活にペットの治療代負担は厳しい現実で落ち込みます。
だからこそ・・・
祖母と養父が他界した時に欠けていた「思いやる気持ちの余裕」を持とうと思う次第です。
また切ない思いをしないように、お金のない情けなさ、侘しさ切なさを越えて、愛猫の治療の為に自分達の食費を削ってでもやりきりたいのです。
その小さな命を、できる限り1日でも1分でも長く繋ぎ止めたいと思っています。