時の流れと貧困女子時代に過ごした街


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貧困女子時代を祖母に預けられて育った私が、この街に帰ってきて早くも2ヶ月が経とうとしています。

賃貸アパートから転居してきましたので、家賃の支払いがなくなり貧困家庭の家計が楽になるはずですが、これまでの延滞、滞納分の支払いがあり、当面は追いかけっことなりそうです。

引っ越してきた家は、養父(父)が引き継いだ家で、いわば親戚代々の古い家です。

落ち着いてみると街並みみもだいぶ変わっていることに気づかされます。

貧困女子時代に過ごした街。

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昔あった公園や空き地は区画整理されて綺麗な住宅が並んでいます。

私の通った小学校の校庭がずいぶん小さく見えて、そのそばの文具店は店じまいしていました。

いつも祖母がお酒等を頼んでいた酒屋さんは、代替わりしたのか活気がなくなっていました。

変わらないのは、数分もまっすぐ走れば海岸に出る裏道、そこだけは貧困女子時代と変わっていませんでした。

貧困少女時代の街

この街なりの時の流れを感じています。

よい思い出は少ないとはいえ住み慣れた街です。

この街を離れた貧困少女が結婚して新型貧困夫婦となり脱出を計るには、もうここが最果ての地だと、時の流れで風景は変わったのと同じく、住み慣れた街の生活にかける気持ちも変わっています。

人も変わりました。

ずっと地元に残っている同級生は少ないようですけど、先日偶然ホームセンターで逢った同級生には、お互い年齢を重ねて主婦になったというのに否応なく格差を感じてしまいました。

親戚代々の古い家ですので遠縁にあたる親類も近所に住み続けていました。

先日はお彼岸代わりと、私をよく知る叔母がお線香を手向けに訪ねてきてくれました。

その時、叔母と少し話しました。
話題に上がったのは、専ら私の母親の事ばかりでした。

母親は私のパート先のコンビニの駐車場の隣りの古アパートに住んでいる事が判明しました。

貧困少女の母のアパート

それでは、常連客になって当たり前です。

事情を知る叔母が、私が今のパート先に勤めることを知った時、それも運命と思ったそうです。
私にすれば何と皮肉な運命なのでしょう。

母が嫌でこの街を離れ生き別れ、何十年も経ってこの街で生活を立て直そうとしたら、母のところに戻って来てしまっていたなんて。

空白だった期間が埋められていく気分になりました。

また母に限り、いくら親類が近所に多いとはいえ、何故こんな近くに住んでいるのかと腹立たしさも感じました。

母が周囲にかけた迷惑は、昔なら島流しにあって当たり前なのに、こんな近くに居て・・・

それでいながら15年以上も音信不通ってどういうことなの?と、15年の歳月を超えて当時の張り詰めた想いばかりの貧困女子の頃に逆戻りさせられた気分になります。

それでも、やはり時は流れていて・・・

貧困少女の砂時計

去年の冬頃に、母親が重い病気を患った事も聞きました。

暫く姿を見なかった事から、叔母は母親が他界したのかと思ったそうです。

叔母も母親の借金の尻拭いをした言わば被害者です。

今まで散々トラブルばかり起こして来た母親ですので、叔母は「他界したのならば言い方は悪いけれど安心出来たのにね」と言って来ました。

私も非情ながらそう思ってしまいました。

憎いから復讐、恨んでいるから不幸になればいいを超えて、自然な形で居なくなってくれたほうがいいと思うほど、私はもう母親には関わりたくありません。

それでも母親は病気を乗り越え、生き延びています。
母親の様な存在の方が、生命力が強いのでしょうか。

父(養父)の方が、よっぽど私にとっては生き長らえて欲しかったのに、この街の時の流れは私にとり皮肉なものばかりです。

それから叔母は、私を育ててくれた祖母の昔話もしてくれました。

祖母と暮らしていた貧困女子の私のところに、母がお金をせびりに来て喧嘩になると、いつも体を張って私の味方をして守ってくれた祖母のことが浮かびます。

それなのに、持病やお金がなくなった事で気持ちに余裕が持てなくなって、孫として何ひとつ恩返しもできずになってしまったことは、本当に悔やまれます。

ちょうどその頃、借金が加速度的に増えて返済が苦しくてしょうがない頃で、「トイレの神様」という歌が私の心情を歌っているような気持ちで聴いていたことを思い出しました。

トイレの神様 My favorite live in 小樽

Copyright by My favorite live in 小樽

いい孫じゃなかったのに・・・と、今でも聴くと、少し涙ぐんでしまいます。

長かったようで短かった、短いようで長かったような、夫婦で色々な辛酸を味わった歳月が走馬灯のように浮かび、母の出現によりこの街を離れていた期間が短縮(凝縮)されてしまっているような気にさせられています。

「居るなよ」、ただ一言それが、母に対する私の本意です。

それでも、これからも時は流れていきます。

母親が現在一緒に住んでいる男性は70歳を越えているそうです。

もしその男性が他界する様な事になったら、今度は何処の誰に頼るつもりなのか。

私は法的手段を使ってでも、母親を追い返すつもりです。

叔母はそんな私の気持ちを察したのか、貧困女子の頃に聞いた同じ口ぶりで「何かあったらいつでも言ってね」と言って帰って行きました。

私も、この街なりの時が流れる中で、これから何があろうとも貧困生活に押し潰されようになろうとも、負けない想いで生きていかなくてはならないと思った次第です。

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街角法律事務所

私は最初、任意整理という方法で債務整理をしました。

40回ほど1度も遅延せず分割金の支払いをしていたのですが、思わぬ状況から(記事で察してください)人生をリセットしたくて残りの借金を自己破産させていただくことで相談しています。

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