今月末の土曜日は土用の丑の日ですね。
私のパート先の100円ショップでも、(さすがに100円ではありませんが)うな重の予約を開始しています。
夏のスタミナ源と言えば鰻(うなぎ)ですが恥ずかしながら貧乏舌で、つい最近まで鰻を食べた事がありませんでした。
貧乏舌で味覚音痴の理由。
私の貧乏舌の理由。
理由は簡単、鰻が高価だからです。
ここ最近は中国産の鰻もスーパーに並ぶ様になり、大分リーズナブルになって来たとは言え、1尾1000円以上する鰻に、借金返済を抱える新型貧困主婦が手を出せる訳がありません。
貧困女子として育った実家でも、理由は同じで土用の丑の日という夏の風物詩に関係なく、また貧乏舌というよりは、無理に食べる必要のないものとして成人までこぎつけました。
ですので、同じく高級食材と言われている松茸(キノコのような本体)、ウニ、フォアグラ等も同じ高級食材という理由で「無理に食べる必要のないもの」で、今でも食べた事がありません。
以前にスーパーで働いていた時も、鰻1尾の値段に目を疑いました。
レジ打ちの際に、お客様がお買い上げのうなぎの表示金額を見て、レジが壊れたのかと思った程です。
貧乏な、けして裕福ではない環境のせいで、貧乏舌なのだと思います。
味覚音痴の理由。
実家時代は祖母が戦前生まれだった事もあり、おやつはトマト、きゅうり、茹でたトウモロコシ等の野菜が主でポテトチップスやチョコレートは贅沢品でした。
健康には良い様な気がしますが、駄菓子が気軽に食べれる同級生が羨ましかった記憶があります。
(ちなみに30代主婦です)
そんな貧困女子時代を過ごして貧困主婦となった今、鰻は贅沢品と言う思考が擦り込まれています。
よく、アボガドに醤油でトロの味や、プリンに醤油でウニの味と聞きますが、本物を食べたことのない「貧乏な環境の私の舌」ですので「うーん」と、判断に迷うところです。
味覚を判断する脳が、味より先に贅沢品を拒絶して味覚音痴なのだと思います。
貧乏舌で味覚音痴の実情。
そんな私が初めて鰻を食べたのは、夫と結婚してからです。
たまたま行ったスーパーの土用の丑の日特売で、中国産の鰻が自分の勤め先のスーパーより安い価格で売られていました。
当時はまだ、これなら少し無理をすれば買えると思い、たまの贅沢と買って帰りました。
「レンジで温める際に料理酒をかけるとふっくらする」と言う、夫のアドバイスを元に簡素な自作うな重を作り食べました。
食べた感想は、今までこんな美味しい物を食べずに生きて来たのは人生損をした、でした(笑)
食べずではなく、食べられなかったと言うのが正しいのですが。
夫婦そろって味覚音痴。
テレビを観ていると、芸能人の方等が国産以外の鰻なんて不味くて食べられないとか言っているのを耳にしたりしますが、私はある意味、味覚音痴で良かったなと思います。
私がはじめて食べた鰻は中国産だったと思うのですけど、外国産も国内産も我が家にとっては贅沢品、どちらも美味しいと思って食べられます。
夫もまた、同じ価値観の味覚(音痴)で良かったです。
味が濃い薄いを言われたこともなく、私が作る残り物リサイクルの、超節約料理でも美味しいと言って食べてくれます。
貧乏人の食に対する実情。
貧乏舌で、高級食材より庶民的なものというより、味覚音痴で鰻の産地の味まで分からないのは、貧乏人の幸いなのかもしれませんが。
私はそれよりもむしろ、貧困女子時代のおやつのバリエーションが少なく・・・トウモロコシ等を食べて育った環境から「米は米、肉は肉、魚は魚、野菜は野菜」としか思っていないのかもしれません。
鰻は魚というより肉の感覚がするほどで、それそれでまた味覚音痴ですが。
貧乏人の強がり?
それで良かったことはないと思いますが、味覚が高級指向なのも、財力が伴っていれば良いとも思いますが、庶民的な物が食べられない美食思考も、ある意味損をしているんじゃないかなぁとも思ってしまいます。
強がりになりますが、「お金が人生のすべてじゃない」と言う考え方に似ているなと思います。
塩むすびだけでも美味しい、おやつがトウモロコシでも食べれて幸せと思える貧困女子の頃の心は忘れずにいたいと思います。
その反面、いつか借金返済が終わった時には、貧乏舌の味覚音痴のままで、老舗の美味しいうな重を食べてみたいと夢を馳せる大人になった貧困主婦の私です。